丹波立杭焼 丹窓窯 東京 取扱店 販売店 うつわのわ田
関西出張2日目は兵庫県の丹波立杭焼、丹窓窯さんへ伺いました。
丹波立杭焼(たんばたちくいやき)窯元、丹窓窯(たんそうがま)さんは江戸時代から続く七代目。陶主の市野茂子さんに、窯のこと、これまでのこと、たくさんお話しを聞かせて頂き、登り窯や工房も見せていただきました😊
現在は使われていない7袋からなる登り窯
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「さや」と呼ばれるいれもの
この中に陶器を詰めて窯に入れいていく。沖縄の登り窯のように直接窯の中に入れるのではなくこのさやという入れ物の中にいれて焼くそうです。
始めてみたので驚きました。
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茂子さんのロクロスペース
窓の外には美しい田園風景が広がります
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広々とした働きやすそうな工房
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ぎっしりと整然とつまった棚
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白化粧を掛ける茂子さん
この後、スリップの作業も見せてくださいました(^▽^)/
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目の前で作って見せてくださったスリップウエア♡
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丹波立杭焼の伝統手法、墨流し
2011年にご主人市野茂良さんを亡くし現在は茂子さんが継承、娘さんとお手伝いさんと窯を切り盛りされています。
ご主人の市野茂良さんは1939年に渡英しバーナードリーチ氏の工房、セントアイヴスで学びスリップウェアを丹波に持って帰ってこられました。幼い子供を連れて茂子さんも渡英し10ヶ月ほどあちらで一緒に過ごしたそうです。その間はリーチ先生と同じ屋根の下で暮らしていたそうで、そのお話が楽し過ぎて器の話はよそに、リーチ先生はどんな方だったのか?イギリスのセントアイヴスはどんな所だったのか食い入るように聞きいってしまいました。
リーチ先生は本当にお優しい方だったそうですが、ロクロを回す時は必ずネクタイをビシッと締めて正装されるそうです。英国紳士ですね!またリーチ先生の奥様(ジャネット・リーチさん)はかなり年下で(笑)3度目?㊙︎なんと丹窓窯で2年間勉強されていたそうで、リーチ先生と市野家が家族ぐるみの関係だったことが伺えます。
バーナードリーチさんに関しては本で読んだり民藝展などの展示で見たりするだけでしたので、生きていた頃のリーチ先生を知ってる方の生のお話が本当に面白く、こんなにワクワクするものかと思いました。
また茂子さんは、リーチ先生のことをリーチリーチと呼び捨てになさるのでこれまたただのご関係ではない、、ただならぬご関係に違いない、、とお話しを聞きながらお察し申し上げ根掘り葉掘り聞いてしまった次第です😅
当時スリップウェアはどのような評価だったのですか?とお尋ねしたところ、市野茂良さんが英国で学んだスリップウェアを日本に持ち帰ってきた1940年代前半、大阪の百貨店などで展覧会に出しても誰にも見向きもされなかったそうです。
江戸時代から続く老舗の窯に、英国の手法を持ち込むなんて当時周りから見たら考えられなかったことだったんだろうなと想像しました。当時はピッチャーやコーヒーカップなどという形も珍しい時代にそれを、しかもスリップウェアの手法で作っていらしたとは、、、まだ見ぬ英国と丹波の融合を試み、新しいものづくりをしたいと市野茂良さんが丹波で積み上げたものづくり。今、奥様の茂子さんと娘さんが一生懸命継承されている、その生き生きとしたお姿に感動を覚えましたし、伝統にモダンを融合させたその心意気が丹窓窯には宿っていると感じました。
伝統的なものとモダンなもの、わたしたちがいちばんグッとくる殺し文句です🔥
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市野茂子さんと従業員
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市野茂子さんと店主
とってもお綺麗な方なうえ、お優しくて、ユーモアもあって一目で大好きになってしました。美の壺見ました!NHKの取材はすごいですよねと盛り上がりました。(僭越ながら当店も取材に来て頂いております!)
ということで、長くなりましたが、この度より丹波立杭焼丹窓窯さんのスリップウェアを新しくお取り扱いさせて頂けることになりましたので今後ともよろしくお願いします😊ほんとうに嬉しい!
今回仕入れさせて頂いたものが、いつ頃お店に並ぶかはまたご案内させていただきます^_^
それでは!
うつわのわ田